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「夢」・・・近頃気になる言葉 [大分トリニータ]

「幼い頃からの夢だったから・・・」
誰だって子どもの頃から抱いている夢のひとつや二つはある。
 普段はあえて口にはしないだろうけど。
 遠く実現には遙かに及ばないような夢もあれば,ちょっとのことで手がとどきそうな夢もある。普段はたいてい胸の底にしまっているが,何かの拍子に気を許した相手にポロッともらしてしまうこともあるだろう。

 そして,「どうやったら夢を実現できるか」いろいろと思いを巡らし,努力を傾ける。諸々の現実の制約の中で,どうやって実現させるかという問題であって,夢だから実現するわけでもないし,まして「夢だから」といって他人が協力してくれるとも限らない。「夢だから」と他人に実現の協力を期待するのも筋違いというものだろう。「夢」の種類によっては,その夢に一緒にのってもいいという人も出てくるかもしれないが,だからといって誰もが同じ夢をみるわけでもない。公的な組織に夢の実現の協力を期待するのも筋違いというものだろう。そういう現実の障害の彼岸にあるからこそ「夢」と呼ぶのかもしれない。

 大分FCの社長の言葉「、彼の世界への純粋な夢を叶えてあげたいという苦渋の選択でありました」というのは,あの場ではこうしか言えないだろうと思った。確かに「苦渋の選択」であったに違いない。「純粋な夢」という言葉使いをしているが,その「純粋」という語にはどんな意味が込められているのだろう。
 彼がここまでくるのに誰がどれほどの時間と費用を費やしたとか,そのためにはどれだけの犠牲が払われたかとか,そういう目をとめるべきことを無視して,一切頓着しないという意味ではないかと受け取った。

 「君ねー,何かというと『夢』って言うけど,それってちょっと違うんじゃない?」と周囲のの大人(プロなのだから,彼も大人として扱うべきだとは思うが)が,諫めてやるべきだったと思う。おそらく説得しようとした周囲の大人はいたのだろうけど,それには耳を貸さず,「夢の実現」の方向へと唆すようなメディアや耳ざわりの良い人の声にだけ耳を貸したということなのだろうか。

 どうも最近,その使われ方に違和感を感じる言葉がある。「夢だから」というのも,そのひとつだ。
「夢だから」といえば,あたかもすべてが許されてしまうような,許さないといけないような雰囲気がつくられるのも抵抗を感じる。


コメント(2) 
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コメント 2

もみじこ

「そんな夢みたいなこと言ってないで、とっとと仕事しろ」と頭をこづかれた日本だったのが、「夢を持とう」「夢の実現にむけて頑張ろう」という国になってきましたね。一つには学校での進路指導にあると思っています。自分が何を好きか、何をやりたいかを考えて進路実現を…とか言っていますが、労働はまず飯の種を確保するためのものということをしっかり教えていかないとと思います。夢なんかないのに、将来の目標やら夢をむりやり捏造しなくていけなくて困っている層も多いです。最近「夢」という言葉が嫌いになりました。「夢」を掲げたら周囲への影響や犠牲に対する恩をわすれてもいいという、水戸黄門の印籠みたいに思い込ませないでほしいと思います。
by もみじこ (2007-01-29 09:36) 

inada

はじめまして、
コメントありがとうございます。
FC東京と大江さんが大好きな私ですが、大江さんに関するエントリは軽い気持ではできないので、まだまだ少ないのですが、半々まで行かなくても7:3くらいにはしたいと思っています。またいらしてください。私もまた訪問させていただきます。
by inada (2007-02-01 22:06) 

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