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「科学」とは鰯の頭か? [「科学」について]

 少々前のことであるが、8月25日付けの朝日新聞の一面に「日本学術会議」による「ホメオパシー効果否定」という記事が載った。
 ホメオパシーとは現代医学に対する「代替医療」のひとつで、西欧では民間療法として、広く行われてきた療法であるそうだ。、
 ホメオパシーとは何かということは、ひとまずおいて、この記事の要旨は「日本学術会議」が「ホメオパシー」を否定した(だから今後ホメオパシーは規制すべきである・・・・とまでは明記されていないが)というところにあると思う。この記事をどう受け止めるかにあたっては、まず肝腎の「日本学術会議」とは何かということを知る必要がある。そこで、件の記事の「日本学術会議」について記述を引用をしておこう。

 「日本学術会議は、約84万人の科学者の代表として選ばれた210人の代表と、約二千人の連携会員からなる日本の「頭脳集団」。学術会議では皇室医務主管で神経内科医の○○会長や、T大名誉教授(毒性学)の○○副会長らが1年前から議論。」

 日本学術会議を権威づけるために、わざわざ皇室の権威とか「T大名誉教授」がどうして必要だったのだろうか?科学的な議論なら、事実やデータに基づいて検証すれば済むことだと思うのだが。

 いったい「科学」とは何のためにあるのだろうか?そもそも、 我々一般民衆にとっての科学の価値とはどこにあるのだろうか? それは言うまでもなく、我々が生きていくために「科学」が何をしてくれるか、言い換えれば、役に立つかどうかということにあるのだと私は考える。最終的に「科学」の価値を決めるのは、アカデミズムの権威でもなければ、政治的なパワーバランスでもない。それが「役に立つか否か」ということ以外には私は認めない。

 そもそも科学とは、自然界の中にある一つの現象と、もう一つの現象の関連性を説明するための、一連の手続きのことをいう。だから手続きさえ同じであれば、誰が、いつ、何度おこなっても同じ結果が生じることを、「科学的」な真理と呼ぶのではないだろうか。科学とは「手続き」のことであるので、哲学や神学や文学、芸術など、自然科学以外の他の科学(人文科学、社会科学)が追求するような、理性や叡智は必要としない。
 敢えて極端に言い方をすれば、方法さえ正しければ、子どもでも証明できるような明確な一連の手続きを記述することが自然科学の役割だということになる。したがって、そういう自然科学に、そういった「手続き」以上の「権威」や価値をもたせようとすることは、科学を一種の「信仰」と化させてしまうことになると思う。科学的な手続きや、事実以外のことをもって、「科学」そのものや、科学者の団体である「日本学術会議」の見解を権威づけることは、信仰的な振る舞いに近いように思う。信仰ならば、何を信じようと、信じる人思うがまま、まさに「鰯の頭も信心から」ということになる。

 ひるがえって「ホメオパシー」の効果否定の記事ついてだが、ホメオパシーを受けた患者が病気が治らなかったり、逆に悪化したりしているのなら、否定されても仕方がないだろう。寡聞ながら私の聞いたところでは、ホメオパシーという治療は、アトピーなど、アレルギー、言い換えれば免疫関連の疾患に対して広く用いられていると聞く。私の知人の中にも、アトピーや喘息などアレルギー症状に苦しんでいる人がいるが、彼らは西洋医学の治療を長年受けてはいるが、症状が改善せず、逆に長年のステロイド投与による副作用に苦しんでいる人が多い。あたかも「ステロイド漬け」といってもいいような状態におかれている。そういう人が、ホメオパシーなる治療に光明を求めても不思議ではない。

 記事によれが、ホメオパシー治療を受けた人が訴訟を起こしたとあるが、そこではホメオパシーの副作用が問題となったのかもしれないが、どのようなどの程度の副作用が問題となったのだろうか? その点は重要だと思うのだが、記事を読んだ限りでは、その点については残念ながら記されていない。その副作用は、現代西洋医学が行っている治療の副作用を大きく上回るほどの問題を起こしているのだろうか? ステロイドの副作用で苦しんでいる人の苦悩以上の厄災を「ホメオパシー」がもたらしているのであれば、否定されてしかるべきであるが、この肝腎な点について、具体的で実証的、それこそ「科学的」論拠に基づいた記述がなされていないことは、まさに朝日新聞の一面記事としては、何とも不格好な感じが否めないと思うのだが。
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「正論」はつまらない [Jリーグの問題点]

 某、元与党の代議士が、トリニータサポからのメールに応えてという形で書かれたブログの文章を読んだ。
本当に、本当に大分トリニータサポがそんなにたくさん彼にメールしたんだろうか?・・・という疑問はさておき、その内容が、はっきりいってつまらない。

 彼の祖父は早稲田大学競争部時代、箱根駅伝で将来代議士になったときのために自分の選挙区を走らせろと要求したという、無茶苦茶といえば無茶苦茶、でもそれなりに人間的なスケールを感じる人物ではあった。だから、、かの政党の中では例外的に父君も含めて敬意を評していただけに、あれは残念な文章であった。
 
 しかも、トリニータサポが「甘い」とおっしゃる。「甘い」も何も、サポーターが直接経営に関われるわけではないのです・・・。まあ、このこの発言は理解に苦しむ見当違いとしか言いようがない。


 かのブログの記事の内容とは、要するに中小企業の経営者向けのセミナーで、決まり文句のように言われるような内容に近いというのが私の印象だった。要するにいかにトリニータの経営が「無謀」であったかということ(そして今もそうだということ)が書き連ねてあった。

 まああれは、普通の中小企業の経営についてのコメントであれば、大して妥当性を欠いたものではないのだろう。しかし、仮にその論理に乗っかるとするならば、そもそも大分からJリーグ、しかもJ1を目指そうということ自体が無謀だとか「十年早い」とかいうようなことになるのではなかろうか。それだったら分からないでもない。

 トリニータの経営についても、いろいろ批判する人が大勢いるようだけど、そもそも大分くらいの規模の県にJリーグなんて要らなかったんだ、J1を目指そうとこと自体が無謀だったのだという論理なら、それはそれで論理の一貫性があって説得力もあると思う。

 「健全?」で、「身の丈」に合った?経営をするというのは、まさに規模の小さな企業経営について何か言わんとする場合は、まさに「正論」でありましょう。

でも、この「正論」というのが、タチが悪い。何しろ、これを口にする奴には誰も反論がしにくいわけなのだから。当たり前で、誰も反論できないような内容のことをとうとうと得意げに聞かされるのは苦痛で迷惑以外の何ももでもない。

 とにかく実際において、大分トリニータは、「身の丈」に合わない無茶をしてきたわけです。大分県民も、相当な無理や無茶をしてきて、それがあの国立競技場のナビスコ決勝であったわけでしょう。でも、そのチャレンジする姿勢に対して、応援を惜しまなかった人もいたはずだと思うのです。かく言う自分自身も、トリニータが「健全」で「身の丈」経営をしているチームだったら、サポーターになってはいなかったと思うのです。

 相当の「無理」や「冒険」をするからこそ、そこにロマンや「夢」を感じて、自身も無理をしてでもスタジアムに駆けつけようとか、シーズンパスを買おうかとかいう行動につながるんだろうと思う。いわゆる「意気に感じる」いうことでしょう。特に、なけなしの年金で生活している70歳代以上の大分サポにとっては、まさにそうだったことだろう。

 特にこの不況の時代、トリニータは夢であり、理不尽で思うに任せない日常を生きるための「活力」であったはず。だから、大分県民も県出身者も「無理」を承知で応援してきたという側面もあったと思う。
 
「企業」である限り、「経営」はついて回ることだと思うが、プロスポーツチームの経営と、一般企業の「健全経営」とは同列では論じのは、それこそただの「正論」だと思う。ただの企業経営の論理だけならば、そもそもこのチームは存在すべきでなかった・・・・そういう論理でくるなら、それはそれで説得力があるのだが。

 

 
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トリニータ復活に役人的発想は要らない [Jリーグの問題点]

 トリニータに関する大分県の動きを見ていると、お役人臭さがただよってくる。「貧乏くじ」は引きたくない。リスクはなるべく負わない方向で、上(この場合はJリーグか?)の顔色をうかがいながら、無難な線ばかりをさぐる。普段から役所ではよく見かける光景だ。そんな予感通りにならなければいいのだが。
 溝畑宏という人物がすごかったところは、元役人でありながら、この正反対をいったところだろう。「何もかも溝畑が悪い」ということにされることによって、大分トリニータと大分県が「ジリ貧」状態に陥っていくのではないかと心配している。

 思えば、これまで大分トリニータは大分県と大分出身者の「夢」であり、活力の象徴であった。(チームがなくなったわけではないとはいえ、)これを失うことによる大分県の損失は、経済効果に換算しても、Jリーグからの借金額をはるかに上回るだろう。

 Jリーグから金を借りるのではなく、大分県から融資を受けることはできたのではないのだろうか。Jリーグから借りたにしろ、当然のことながら厳しく取り立てられるわけで、それと同じくらいの厳格さをもって融資するのなら県民の理解は得られただろう。「経営計画」にしても、Jリーグからの融資の場合、基金の安全な回収という観点で審査されるが、大分県からの融資だったら、「トリニータの再建」を目的とした融資になる。Jリーグから借りるのでなければ、「借金返さないうちはJ1昇格させない」などというトリサポにとって「意地悪」な条件はつけられずに済む。「県からの負債を返済して、1年でのJ1復帰を目指すため」というのであれば、サポーターの協力が得られただろうし、選手も残ってくれたのではなかろか。

 とにもかくにも、ポポビッチ・サッカーの完成型をこの目で見ることが出来ないのが何よりも残念でならない。あのサッカーは日本代表が目指すべきサッカーの形だと思うが、それを地方のチームである大分トリニータが実現してしまうと想像しただけで何とスリリングなことだったことか。でも、Jリーグはそれを望まなかった。大分にそれをされては立場がないからだろう。
 むしろ、これを機に何かにつけてJリーグの言うことを聞かないくせに人気があって、メディアの注目を浴びやすい溝畑宏という「目の上のタンコブ」を排除したかった。すべてを溝畑宏のせいにして、終わらせようとする陰謀にまんまと乗せられてはいけないのだが、その心配が現実のものとなりかけている。

 「4年後のJ1復帰を目指す」といっても、サポーターがファミリー層中心で高齢者も多いトリニータの場合、「これじゃ生きてる間にJ1の大分トリニータを二度と見られそうにない」と思う人も多いだろう。こういう状況で、高齢者も含めたサポーターのうち、どれだけが来年の「シーズンパス」を買おうという気になるだろうか。第一、4年後に昇格をめざせるような戦力があるという保証もないし、大分にトリニータがあるかどうかすらわからない。

 一度はナビスコカップで日本一を勝ち得たチームへの誇りとプライドがサポーターと大分県民にはあるだろう。今は「身の丈」に合った経営とか、無難な経営を目指すだけではなく、多少の無理をしてでも、リスクを負ってでもこのチームを守りたいと多くの人が思えるような思い切った経営が大分にとっては必要だと思うのだが。

 チームを強くするため溝畑元社長は相当な無理をしていたようで。結果的にこれでトリニータが好成績を残していれば、「大胆な強化策」と高く評価されていたことだろう。ところが色々な不運が重なってチームは14連敗。経営者が結果責任を問われるのは仕方のないこと。でも、結果を見て批判するのはたやすいことだ。今年まで「身の丈」に合わない「無理」をしてきたのは大分FCばかりではない。サポーターだって、相当な無理をして、大分から国立に2万人がつめかけたのではないだろうか。

 「ここは無理をしてでもトリニータのために一肌脱ぐぞ」とサポーター、県民に思わせるような方針をFCには打ち出して欲しい。
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大分FCの新社長、いまだ決まらず [大分トリニータ]

溝畑前社長が観光庁長官に抜擢されたとか。
それに関して、某webサイトにリンクされているトリニータ系ブログには、反発の書き込みが散見される。
 それを見ていると、どうも県外での氏に対する評価とはギャップがあるようである。溝畑氏が大分県でやってきた仕事はトリニータの社長だけではなく、氏の仕事全体に対する評価だということもあるだろう。

 溝畑氏の後任の大分FC社長がまだ決まらないらしい。

 不思議でならないのは、あれだけ溝畑批判をしてきた人たちの中から、後任人事に関する提案、提言、あるいは自らの立候補が未だみられないことである。誰か「我こそは」という人が自ら立つなり、誰かを押し立ててくれることを期待していたのだが。

 大分県がJリーグのチームを維持していくことは大変な苦労だろう。その責任を担っていくことは、相当な知恵も勇気も決断力も要することだろう。「ホームタウン構想」というお題目を掲げながら、その本気度がどうも怪しいJリーグ幹部とも五分に渡り合わなければならない。溝畑氏に変わって、そういう責任をになっていける人材が大分にいるのだろうか?是非ともいて欲しいと願わずにはいられない。

 批判をするのは勝手であるし、傾聴に値する批判なら大いに耳を傾けたい。しかし、リスクを負って働いている人間を批判するのに、何の代案も提示しないのであれば、そういう声はあまり耳を傾けるに値しないと思う。「○○ヤメロー。でも、次の社長は誰かが何とかしてくれるだろう」では、次の社長に敢えてなろうとする人は大変だろうと思う。次の人がまた何か失敗すると、代案のない「辞めろ!」コールの嵐にさらされるのだろか?

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こんなのが「トリニータ」と呼べるか? [Jリーグの問題点]

 大分トリニータの選手が、Jリーグの意向を受けた「再建案」に愛想をつかして、チームを去ろうととしてる。
ポポビッチのサッカーをもっと追求して、一年でのJ1復帰を誓った選手達が、その道を閉ざされてしまえば、もうこのチームは彼らが愛し、「給料が下がっても残りたい」と願ったチームではなくなっていた。サポーターである自分にとっても、このチームはもはや自分の愛した「大分トリニータ」ではないのではないか?・・・という疑念が湧いてきている。

 超過債務という形で、「無理」な経営の責任を取るため、溝畑社長、皇甫官副社長、原強化部長が辞任されるとのこと。辞任はやむを得ないと思うが、新しくやってくる経営陣は、残念ながらこの三人ほどトリニータに対して愛着をもっていないことだろう。

 大分の地にトップレベルのフットボールチームを根付かせ、躍進させるためには相当な経営的な無理もせざるを得なかったことは想像できる。それも一昨年の4位と同等か、それ以上の成績が残せていれば、果敢な「チャレンジ」として社会は受け止めたことだろう。相次ぐ負傷者、最悪の芝、監督の意思を伝えられない通訳と、不運な条件が重なったこともあってチームは連敗を続けた、連敗がさらに負のスパイラルを生み、とうとう14連敗にまでつながってしまった。

 あえて「無理」をしてきたのは、大分FCの経営陣だけではない。サポーターもまた相当な犠牲を払って、遠いアウェイゲームにも応援に駆けつけてきた。収入の大部分をトリニータの応援につぎ込んでいる人もいる。ナビスコの決勝には、2万人以上の大分県人が、様々な「無理」を押して国立競技場まで駆けつけてきた。そういう犠牲を払うに値するチームであったからだ。

 降格が決まった後も、それぞれのサポーターが「1年でのJ1復帰」を目指して、大分トリニータのために自分に何ができるかを真剣に考えていた。かくいう自分も、来年こそははスポンサーになろうと思っていたし、応援にもできる限りでかけようと心に決めていた。しかし、「再建案」を聞いた途端、その熱は一気に冷めてしまった。多少の「無理」はしても、トリニータのJ1復帰のためにサポーターや県民に協力を求めるような再建案が出てくることを期待していたが、残念ながらその期待は裏切られた。Jリーグの意向を受けて出された「再建案」なるものは、あくまでもJリーグからの借金を返すことを第一目標として立てられたものだった。「経営再建案」は大分トリニータというチームを再建するためではなく、借金をかえすためのFCの経営再建を優先させるものだ。困難な中でも県民が一体となって、J1復帰を目指してチャレンジしている姿勢を全面に出せば、スポンサーもつく可能性がます。しかし、Jリーグが送り込んできた連中の立てた「再建案」はそのような魅力あるチームづくりではなく、選手の年俸など経営規模を縮小して、確実に借金の取り立てをしようとするものだ。

 「健全」な経営? 「身の丈」に合った経営? 確かに大分FCが営利追求を一義とする企業体ならそれは立派なことだろう。だが、自分がスタジアムに足を運ぶのは、経営が健全な企業を「見学」しに行っているわけではない。経営が健全でも、応援し甲斐のないようなチームだったら、もはや我々の「大分トリニータ」と呼ぶに値しない。「4年後のJ1復帰」などと大分県全体に冷水をぶっかけるようなことを言ってきた。

 「再建案」によると、シーズンパスを今より更に大幅に売り出すつもりらしい。本気でJ1復帰を目指す意思を放棄したような会社が売り出す、シーズンパスを買いたいと思うサポーターが増えると思っているのだろうか?自分だったら、絶対に買わない。おそらく今年まで買っていた人でも、来年からは買うのをやめるんじゃないだろうか。どうやら今のJリーグにとって、チケットを買う大分県民は(確実に融資した金を回収するための)単なる消費者、マーケットにしか過ぎないのではなかろうか。

 借りた金を返すのは当たり前だし、何としても返すことだろう。でも、その先に希望の見えない「再建案」は再建案とは私は呼べない。Jリーグの「百年構想」って実態はこういうことだったのか。
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トリニータと大分が心配 [Jリーグの問題点]

 ポポビッチの退任で深谷選手をはじめとして、「1年で復帰」をめざしていたトリニータの選手はチームを離れてしまうかもしれない。
 
 6億の借金をJリーグにすることを県が認めた時点で、トリニータはJリーグの支配下に入ってしまった。500万円以上の支出は、Jリーグから派遣された「再建請負人?」がチェックするそうだ。赤字のチームは赤字のチームらしく、田舎のチームは田舎のチームらしく、「身の丈」に合った経営をしろということか。そういうことを「健全」というらしい。

 これで「身の丈」という言葉、ますます嫌いになった。普通の企業経営であれば、このほうが「健全」な経営ということになるんだろうが。大分トリニータは営利だけを目的とした企業ではない。大分県に活力と夢をもたらしてくれたフットボールチームだ。だから多くのサポーターが「トリニータのために自分にできることをやろう」とそれぞれ考えをめぐらしていたはずだ。でも、これでは頑張る目標自体が大きく遠のいてしまう。

 大分にトリニータがあることの価値は6億円をはるかに超えるものがあるはず。万全の返済計画を立てた上で県が半分でも貸してくれれば、まだ道はあったと思うのだが。こういう経済状況の今だからこそ、十分な説明があれば、大分の「元気の素」であるトリニータに融資しても納得してくれる県民は多いはず。県からの借金なら、「返し終わるまで昇格させない」などという「縛り」もないわけで、少々時間がかかっても確実に返済できれば県民の納得も得られたのではなかろうか。返済をめざしてサポータも頑張る目標ができたはず。債務超過に関して社長に責任があるのなら退任してもらえばいい。トリニータ系ブログ等で、大分FCの経営陣の責任追及をしてきた人にこそ、「これは」という人を押して欲しかった。

 「箸の上げ下ろし」まで監視すると言った広瀬大分県知事は、実質Jリーグの管理下に置かれる事態を容認したわけだが、本当にこれまで十分な監視をしてきたのだろうか。

 不況の風が吹き荒れる師走の大分にとって、今回の発表はあまりに残酷な知らせとなった。2014年までって?それまでトリニータはどんな状態になっているのだろうか? 「元気のもと」、「大分の夢」であった今のトリニータを失った大分のことが本当に心配だ。
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6億円融資せざるを得なくなったJリーグ? [Jリーグの問題点]

例の6億円融資の問題で産経がコメントしている。

 内容はごく当たり前といえば当たり前すぎるほどのことだ。でも、なぜか他の報道ではこの視点の記事は目にしてこなかった。トリニータ系のブログでも、この当たり前のことを書いているブログは、ほとんど見あたらない。

 記事の内容は、以下の通り

「クラブは下部組織を持つことが必須だ。地方のクラブでは地元の高校と選手の取り合いになったり、条件を満たすことに汲々としてトップチームの強化が疎かになるケースも少なくない。またパチンコホール、美容整形外科、酒造メーカーなどスポンサーになりたくてもなれない業種もある。」

 これまでJリーグが大分トリニータにしてきたことは、「キリンカップ」を開催しておきながら、大分の地場産業である焼酎メーカーのスポンサーは認めなかったこと、マルハンのスポンサー問題に関する大分県民35万人の署名に対する(却下の)返事を電話で返してきた非礼など、とてもJリーグ会長が溝畑社長を非難する資格など認められない。

 それにしてもこれからの大分トリニータは苦難の道を歩むことになるだろう。Jリーグは容赦なく借金の返済を迫ってくるだろうし、とにかく借りたものは返すしかない。
 微力であるが、サポーターとして自分に何ができるか知恵を絞って考えることにしよう。

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注目! トリニータからの「融資」の要請にJリーグはどう応えるか? [Jリーグの問題点]

 大分FCがJリーグに対して「借金」を申し入れたということに対して、批判、非難の声がネット上、特に大分サイドから聞こえてくる。
 しかし、私はそのような声とは、違った角度から、この一件に注目している。別に「サラ金」から金を借りようとしていうわけはない。トリニータの所属するするJリーグ本体からの「融資」の申し入れだ。さて、この「本体」がどのような対応を見せるのだろうか、注目したい。
 
 つまり、今回の「融資」の申し入れは、Jリーグが標榜する「ホームタウン構想」なるものの、「本気度」、「ほんもの度」を問い糾すのに、絶好の機会だと思うからだ。

 思えばJリーグは「ホームタウン構想」なるものを標榜しておきながら、Jの各チーム、とりわけ地方のチームの「自助努力」に対して、ことごとく不当とも思える「介入」をしてきた。大分や熊本の胸サポの件しかり。ビールメーカーを冠にした国際試合を開いておきながら、「焼酎はダメ」という言辞。いったいどういう理屈によって支えられているのか?麦焼酎や米焼酎、芋焼酎は九州の食の「文化」そのものなのに、それを「ビール」以下に置くとは如何なる根拠をもってするのか? 納得の得られる回答はもらっていない。

 それから、周知のとおり、パチンコ台メーカーをJリーグのスポンサーとして戴いておきながら、マルハンを「パチンコ屋」だから駄目という論理。こういう理屈をとなえる「大人」の方々は、「明日をになう子どもたち、青少年」に大して、一体どのような「模範」を垂れようとしているのだろうか?

 このように地方のチームの自助努力を「中央」の論理で、ことごとく握りつぶしてきたJリーグは、放映権料を独占して、その「上がり」のうちの幾ばくかを「ナントカ基金」として積み立てているということを、今回初めて知った。そのイザというときのための基金を、一地方のJ1チームでである、大分トリニータの存亡の危機にあたって、拠出する意思があるのかどうか。「基金」といっても、当然のことながらJリーグの「船長さん」やお偉いさん達から借りるわけではない。もともとはサポーター、ファンの入場料や、スカパーの視聴料から積み立てられたお金であって、その使用を彼らに託された資金である。

 はっきり言って、「勝負とは時の運」、昇格する3チームがあれば、降格する3チームがある。「ルール」がそう変えられたのだから仕方がない。でも、「降格」によって、(景気その他の経済状況にもよるだろうが「)経営そのものが困窮するチームもこれから出てくるだろう。特に地方の、大企業の後ろ盾のないチームには厳しい状況である。「移籍金の廃止」ということも、これに拍車をかけているようだ。(それにしても、自らにまわってくるパイのサイズを小さくしてしまうような制度の改変をJリーグ選手会は、どうして支持したのだろう?)

 「Jリーグの矜恃」というと大袈裟だが、自ら掲げてしまった「ホームタウン構想」の真価そのものを問うものとして、その回答の如何に注目していきたい。大分FCの申し入れを受け容れるのか、却下するのか? いずれにしても、その「理由」をどのように回答してくるかに注目している。

 融資に際しては、大分FCの経営努力、経営計画に対しても、「厳しい」査定がなされるであろう。大分サポとしては、返す刀で、これまでの大分の経営努力に対してとってきたJリーグの姿勢に対して、厳密な目で臨みたいところだ。
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降格 、「責任追及」の声に耳を貸せる必要条件 [大分トリニータ]

この数週間、いつかは来ると覚悟はしていたつもりだが、やはりトリニータの降格決定が現実となるとやはり堪える。ゴール裏で涙していた仲間たちをスカパーの画面で見てもらい泣き、その場に共にいられなかったこと申し訳なく思った。
 こjれで「1年でJ1復帰」という明確な目標ができたわけだが、そのまえに天皇杯もあるし、残りのゲームもただの「消化試合」にはしてほしくないし、したくもない。

 でも、現実に降格が決まると、またぞろ「責任追及」の声が喧しくなることだろう。「責任追及」も「批判」もトリニータのためには大切なことだし、必要なことだと思うが、それには条件がある。「では、どうすればいいのか?」という問いに答えられる代案を提示することだ。
 FCの社長や強化部長が交替するということもあってもいいと思う。それでFCの経営やチームの状態が改善されるという見通しがあるのであれば。だから、溝畑社長の退陣を求める人は、彼に代わってトリニータを安心して任せうる人材を担ぎ出すか、自らが名乗り出て欲しい。

 そういう明確な代案もない責任追及や批判にはウンザリだ。

でも、現実には世の中には、他者を批判したり、貶したりはするが、自分からは何の代案も出さないという人が多くなりつつある。最近特に増えているような印象がある。自分からは、何の具体的提案やアイデアを提示せずに、他人の言ったこと、したことにケチをつける。他人が失敗すると、「だから言ったとおりだろう」と得意げになる。

 このオフには、そういう言葉は聞きたくないし、そんな言葉に耳を傾ける気もない。

 自分としては、何をどうすべきかという根本的な提案は残念ながら提示できないので、J2 大分トリニータに対してもこれまでと同じように応援し、関わっていくしかないと思っている。
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代案無き批判にはウンザリ [大分トリニータ]

 菊池選手の加入、スポンサー問題に関していろいろと議論があるようだ。

 「再出発」をしようという選手に対しては、応援したいというのが私の気持だ。まして、そう思っている人が少ない状況であればなおさらで、声援を送っているサポーターも少なからずいるのだという声を彼に届けたいと思っている。もちろん、今の大分のおかれた状況でDF陣を補強する他の選択肢を提示してくれるのであれば、この問題に対する批判にも耳を傾ける値打ちがあるだろうが。

 スポンサー問題についてもしかり、マルハンがスポンサーを降りざるを得ない状況の中、いろいろ問題のある企業を受け入れることは経営陣としても「苦渋の選択」というか苦肉の策であったことだろうと思う。批判が出てくるのも当然といえば当然で、建設的な批判を聞きたいと思う。そして問題点をどんどん掘り下げていけばいいと思う。溝畑氏に代わりうる人物を担ぎ出せるのであれば、「社長辞めろ!」という批判も、それなりに建設的で傾聴したいと思っている。代案、対案を伴わない批判は、ただの非難でしかないので、あまり耳を傾ける気はしない。

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